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miyazawa kenji

レポート無理。8000字って。しかも提出土曜らしいよ。昨日知った。
助けてください。ってわけで今は宮沢賢治についてのレポートを
打っています。 

昔は兄貴とかが読んでた井上靖とか宮本輝とか遠藤周作とか比較的
読みやすい文章に慣れちゃってるのが災いして、きつい。賢ちゃんわかんねえ。
ぐわらあぐわらあみたいな訳わかんねえ擬声語とか、謎。浦安鉄筋家族じゃないいんだからさあ・・・とか思いつつ参考文献を斜め読みしてたら、これまたかなり奥が深い。
「私という現象は 仮定された有機交流電灯の ひとつの青い照明です」
で始まる春と修羅の「序」。意味わかんないけど、これ、好きだったので題目にしました。

 ではまず「序」からの考察から入っていきたいと思う。まず深層に入り込んでくる言葉、それは「現象」である。現象とは感覚の働きによって知ることのできる、一切の出来事のことである。私という「個人」の現実的な働きがこの言葉により一瞬にして消し飛んでしまう。自分という肉体の存在から、はるか遠く我々を引き離し、異世界の空間へといざなう。十九世紀において、ほとんど当たり前の通念であった「特定の個人」から解放され、心理的な場へと移行する。そこには実体的な人間は存在せず、関数の総体としての人間像が現れてくる。「有機交流電灯」という言葉は、我々現代人にはなじまない言葉であるがその漢字からうまれるものは、一つの中枢的な部分を中心にして、感覚が全体に広がり、電灯の点滅は、人間の脳の情報伝達をも連想させる。人間は存在と認識の対置ではなく、人間の意識の場に映る現象こそが真実で、その意識の点滅こそが美しいということを我々に訴えているようにも感じる。

みたいな感じ。深いべ。ほとんどぱくりだけど。自分でも理解不能。

さーて、あと7500字くらいがんばろっと。
by box-in-the-cherry | 2005-01-11 23:57
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