まじくたくた。肩凝った。
二月五日はいローンナことがあった。 僕は兄貴が世界中で誰よりもすっきですきでしょうがないのだ。 ブラコンなのだ。といってもブラジャーが紺色なわけではない。 その兄貴が、この日、大学最強、そして僕の母校である、 早稲田大学とラグビーの試合をした。 試合は、59-5で負けた。 兄貴が入ってるクラブの人は、仕事をしながらラグビーを やってる人たちだ。みんな何かを背負って、ラグビーというものに 全身全霊を注いでいた。気持ちのいいくらい、熱い人ばかりだった。 試合は、59-5で負けた。 兄貴は、秩父宮ラグビー場のたくさんの観衆の前で、 胸を張って、試合をやり遂げた深い充実感に酔うでもなく、 ただただ、下を向き佇んでいた。 泣いていたのだ。 客観的にいえば、クラブチームが早稲田に勝つことなんて 100%不可能だ。でも兄貴たちは、早稲田に勝とうとした。 奴らは本気だった。 29にもなる、はたからみればただのおっさんが、 悲鳴を上げそうなくらいに真っ青なグラウンドの中、 赤ん坊みたいに顔をくしゃくしゃにして涙をこぼしていたのだ。 でも彼は、ドンキホーテじゃなかった。 ものすげーかっこ悪かった。そしてものすげーかっこよかった。 早稲田のどんな花形選手よりも、奴はサイコーに輝いて見えた。 僕は、負けたくない。と思った。そんだけだった。 そして泣きそーになった。自分、かっこ悪いな。 ばあさんが入院した。 俺はばあさんがすっきですきでしょうがないのだ。 つまるところ俺はファミコンだ。ファミリーコンプレックスのことね。 造語。 ああ、書いてるとまた泣くから具体的なことは書かないが、 そんな悪いものではないらしい、血液が少なくなってたらしい。 俺とばあさんは幼稚園の頃からの付き合いだ。 水戸に元々住んでたうちの兄姉は、栃木に引っ越すにあたって それぞれ何らかの反感を抱いていた。 ちいちゃい僕が、一番ばあさんになついたわけだ。 幼稚園の頃の僕は花粉症が酷くて、目が痛くてあけることすらできなかった。 ばあさんはいつも俺をバスまで手を引いて歩いてくれてた。 僕はばあさんの手が好きだった。 中学校のときも、高校のときも、僕の日々はばあさんなしでは考えられなかった。 大学に受かったとき、いつもは背中が曲がって小さくなっているばあさんが、両手を挙げて 飛び上がったときの、あの最高に幸せな映像は、僕の中で一生忘れられることはない。 別にばあさんが死んだわけじゃない。いつもうるさいくらい元気だし、すぐ退院 するだろう、だけど僕の中にばあさんの死というものが、今までにない速度で僕に 呼びかけているのだ。 怖い。失うのが、怖い。 病室を出た後に、ばあさんとのたくさんの思い出が突然、 僕の心でフラッシュバックした。僕はすぐ隣にいた兄貴に、ぷいと背中を向けた。 「大丈夫だって、心配すんな。」 ばしっと、兄貴が僕を叩いた。僕はどこかにある背中のスイッチを 押され、まるで不恰好なロボットが、そうするのが当たり前かのように ゆっくりと、ただわんわんと泣いた。 観た映画・・・エイゼンシュテインの「ストライキ」 読んだ本・・・村上龍の「イン ザ ミソスープ」 コメントなし。許して。疲れた。
by box-in-the-cherry
| 2005-02-07 00:21
| 思ったこと
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